Jトラスト株式会社 取締役会長 藤澤信義について調べてみました
一代でJトラスト株式会社という大企業を立ち上げ、上場も果たした経営者がいます。経営者はたいてい地元より東京を重視するようになりますが今回ご紹介する方は地元岐阜を愛してやまず、FC岐阜のオーナーなども務めます。今回はJトラストグループの代表を務める藤澤信義さんについてまとめてみました。
藤澤さんの経歴
藤澤さんは1970年1月17日に岐阜県岐阜市にお生まれになります。億万長者にまで上り詰めている藤沢さんですが、そのキャリアは意外と地味なところから始まります。高校卒業後、東京大学医学部に進学。在学中にゲームセンターでアルバイトをしており、卒業してからもアルバイトを続けていました。非常に異色の経歴ですよね。30歳を過ぎた2001年にこのままではまずいと思った藤澤さんは不動産担保ローン会社に就職。
当時働いていた会社は金利の問題もあってか業績があまりいい状態ではなかったものの、藤澤さんが地道なプレゼンを金融機関に行っていったことで融資を確保し、黒字を実現します。この実績が評価され、わずか2年、入社前は31歳のフリーター、貯金ゼロだった青年が社長にまでなります。筆頭株主になった藤澤さんでしたが、2005年に当時の堀江貴文社長が率いたライブドアに企業買収の打診を受け、持ち株すべてを譲渡することに。その後ライブドア事件で大問題となり、譲渡した事業を再び率いることになります。その後、債権回収会社の会長となり、2008年にはJトラストグループの株を取得、藤澤さんは代表取締役会長になった他、アルバイトとして働いていたアドアーズの取締役になった他、アイドルグループSKE48の運営権を取得するなど様々な動きを見せています。
そんな藤澤さんですが、岐阜にも手厚い支援を行っています。それがFC岐阜へのホワイトナイト的救済です。当時のFC岐阜は、J2に昇格した当時から経営問題を抱え、1年目から累積赤字や債務超過がすごく、このままではJリーグのライセンスをはく奪される可能性すらありました。大口スポンサーが全くなかったFC岐阜に対し、藤澤さんが支援に乗り出し、1億円以上を寄付する方針を示します。債務超過の解消に向けて地元が支援することで債務超過を解消するよう求め、それが実現したことで藤澤さんは多額の支援を行いました。
まとめ
2011年には国内のファイナンスノウハウをもって韓国に進出し、2013年にはシンガポール、2014年にはインドネシアに進出します。成功事例だけでなくいくつか失敗したM&Aがあったものの、リスクを最小限にとどめ会社の毀損はほぼありませんでした。「想定外のピンチにあっても、それを逆にチャンスに変える思考力」が藤澤信義社長の持ち味で、今後も社員教育等に用いられることでしょう。
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