設立からわずか9年で東証一部に上場した企業、サイボウズの社長 青野慶久さんについてまとめてみます!
導入

web系グループウェアを聞くと「サイボウズ」を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。創業当時の1997年、大手が寡占していた市場に対して、愛媛で生まれた企業はその市場に果敢に挑みにいきました。それから23年の歳月がたち、現在では業界有数の知名度とシェアを誇るまでに成長した同社。その創業者である青野さんについてまとめてみようと思います。
青野さんの経歴

青野さんは1971年に愛媛県今治市でお生まれになりました。愛媛県立今治西高等学校を経て大阪大学工学部卒業後、松下電工(現・パナソニック)へ入社します。営業企画部に配属された際に青野さんは驚愕します。なんと日々の報告書をワープロ専用機で書いていたのだとか。まだPCが一人一台付与されるという状況ではなかったため、青野さんは自前のPCを持ち込んで業務をされていたそうです。
もっとコンピュータに携わる仕事をしたいと考えた青野さんは社内制度を利用してシステムインテグレーションの会社立ち上げに参画。そこで共同創業者の一人である高須賀さんに出会うことになります。
サイボウズ創業のきっかけ

お客様の要望があったシステムを構築する業務をしていた青野さんと高須賀さんですが、徐々に自分たちが考えたパッケージソフトを手掛けたいという想いが強くなっていったそうです。社内での理解を得ることが難しかったため、当時ジャストシステムで勤務されいた畑さんを誘って起業することとなります。これがサイボウズになるのです。創業場所は愛媛県の松山市。IT系ベンチャーの創業場所としては珍しいですよね。
青野さんはパナソニック時代の実務経験をもとにパッケージを開発し、「安くて簡単で便利」という事を追求した結果、急速に認知拡大し、顧客獲得につながったそうです。2000年にはマザーズ、2002年に東証二部、そして2006年には東証一部への上場を果たします。
サイボウズはその過程の中で、急成長ベンチャー企業から安定型企業への性質を強めていきました。ストックオプション制度から持株会制度、相対評価から絶対評価へ、育児休暇制度の見直しへと着手していきます。これまでのベンチャー気質が気に入っていた人々は会社を去ることになりましたが、この改革の甲斐もあり離職率は改善されたようです。
まとめ
愛媛で生まれたベンチャー企業が東証一部に上場し、安定志向の企業になるまでを描きました。青野さんの構想では、アジアはもとより、アメリカで勝負をしたいという意志もあるようです。愛媛から世界を取りに行く企業がでていた事には驚きです。
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