襟川陽一 コーエーテクモホールディングス社長の経歴などをまとめました!

歴史戦略シミュレーションゲーム「信長の野望」、「三国志」シリーズをはじめ数々のヒット作を生み出す会社コーエーテクモホールディングス。そこで登場するプロデューサーに「シブサワ・コウ」という名前が入っている人を目にした事がある方は多いのではないでしょうか。その人こそがコーエーテクモホールディングスで代表を務める襟川陽一さん。今回は襟川さんの経歴についてまとめてみます。

襟川さんの経歴

襟川さんは1950年栃木県足利市出身。ご実家は足利市で染料の販売会社を営んでいた様子です。襟川さんは地元の進学校 足利高校を卒業し、慶応義塾大学へと進学します。卒業後に襟川さんは父親の口添えで取引先だった化学品専門商社に就職されます。商社に入社して数年経った折、実家の染料会社を手伝うようになります。その時から自らも経営に携わるようになりますが、なんと実家の会社が倒産してしまいます。その後、襟川さんは200万円をかきあつめて染料を扱う会社「光栄」を設立しましたが、上手くはいきませんでした。父と同じことをしていてもだめだと考え、これからはコンピューターの知識をつけておくべきだと思い、プログラミングを学び始めます。
当初は昼に会社の管理部門業務の管理ソフト(財務管理や販売管理の効率化)を作成していたようですが、夜はシミュレーションゲームの作成を始めるようになります。
襟川さんが最初に作ったソフトが「川中島の合戦」。このゲームが予想外に好調でソフト制作に力を入れ始めます。広告を出し、10本くらい売れたらいいと考えていたら数百通の現金書留が襟川さんのもとに届いたことで、完全に路線を変更することを決心します。
そして、襟川さんが30歳の時、1980年に現在もヒット作として名高い「信長の野望」が誕生します。これは日本で大ヒットしました。この当時、既にファミコンがブームとなっており、売り上げは大変なものだったようです。「信長の野望」とシブサワ・コウの名前は日本全国に広がっていきます。
その後も襟川さんは「信長の野望」や「三国志」などのヒット作を生み出し続け、会社は拡大期を迎えます。

まとめ

襟川さんは2018年に東大の学生向けに行った講演で、自分の信条を3つ語っています。1.好きなことを一生懸命行う、2.伸びていく業界で思いっきり仕事をする、3.幸せな家庭を築く の3つ。伸びていくと自分が信じた業界で、一生懸命好きな事を行えれば成長企業を創れるのでは。そう思えるご経歴をお持ちの方でしたね

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