株式会社サイゼリヤ代表取締役会長 正垣泰彦さんの経歴を調べました

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安くておいしいイタリア料理が食べられるだけでなく、千円札を片手に満足のいくまでお酒が飲めてしまう、いわゆるせんべろに適したファミレスとして知られるサイゼリア。このコロナ禍で大きな影響は出ているでしょうが、その人気は衰えていません。今回はサイゼリヤの創業者で、現在は会長を務める正垣泰彦さんについてまとめてみました

正垣さんの経歴

正垣さんは1946年1月6日生まれの兵庫県出身。実家は医者の家系、家は広く、生活するのに不自由がないほど当時の日本では考えられないほど豊かだった正垣さん。ガキ大将だったという正垣さんは、転校先の東京でもその姿勢を変えず、悪さばかりをする少年だったようです。その一方で面倒見のいい性格で、人がしでかした悪事を自分がしたようにかばうなど男気があった正垣さんは非常に人望の厚い人物だったようです。高校時代は気持ちを入れ替え、数学や物理に目覚め、結果的に東京理科大学に入学します。
サイゼリヤの出会いは大学時代でした。簡単に満点が取れ、大学の授業よりもアルバイトに目覚める正垣さん。レストラン経営の才能を見込まれ、当時バイトで入っていた洋食店のコックなどが多く正垣さんについてきますが、その時に父親が用意してくれたのが「サイゼリヤ」という洋食店でした。とはいえ、潰れる寸前の洋食店だったため、これではわざわざ辞めてまでやってくるコックたちに申し訳ないと自らも厨房に入ります。しかし、自分が店にいないと店内はボロボロになる状況の中、突然事件が発生します。なんと火事で店が全焼してしまったのです。最初は店を閉めないといけないと考えていた正垣さんでしたが、母親の「またお店をやりなさい」という一言に救われます。大家さんにも了承してもらい、再び同じ場所で店を開くことになります。とはいえ、同じことをしても展開は同じ。そこで正垣さんは別の料理で勝負しようとします。それがイタリア料理でした。
しかし、いきなりイタリア料理といってもそううまくはいきません。立地もいい場所ではないなど色々とネガティブに考えていたところ、母親に諭され、逆にここは最高の場所と考えるなどポジティブな発想に変換します。料理の価格帯が高いと判断して、思い切って7割引きで勝負をかけました。当然7割引きなので客足は増加。市川を中心に店を開き続けたサイゼリヤは全国で1000店舗以上にまで増え、ファミレス業界のトップを走ります。

まとめ

医者の家系に生まれると、自分も医者にならなければというプレッシャーと周囲からの期待にさらされるものです。ただ、正垣さんのご両親の理解もあり、自分の熱中できるものに全力を注ぎこむことで外食産業の雄であるサイゼリヤにまで成長させることを実現できたのでしょう。

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