野村証券を経てスマホ投資会社の営業部長に!入社一年後には社長に就任したお金のデザイン代表 中村社長の経歴に迫る!

導入

投資をしたいけどパソコン前に張り付いていられないし、個社別の銘柄を調べるほどの時間や知識もない…。貯蓄以外の資産形成方法を模索する皆さんがまず最初にぶち当たる壁がこういったことかと思います。そんな悩みを解決するための会社として生まれたお金のデザイン。今回は素人でもプロ顔負けの運用ができるという資産運用ロボアドバイザー「THEO」の開発運用を担う同社の代表取締役社長の中村仁さんの経歴に迫ります!

プロサッカー選出を目指すも挫折。中村社長の経歴

中村さんは1981年に生まれました。お父様が転勤族だったこともあり、関東や関西のみならず海外での暮らしも経験されています。住所を転々とする中、中村少年は常に打ち込み続けることがありました。それがサッカーです。3歳から9歳までベルギーに住んでいた中村さんは地元の子供たちとサッカーをしながら人脈を作りはじめ、当時から英語とフランス語を話せていたのだとか。
そして高校時代は全国でも有名な関西の高校に進学し、プロを目指してサッカーに打ち込む傍ら、生徒会長や文化祭の実行委員長を務めるなど、高校における中心的な人物として活躍されいたそうです。ただし、流石の強豪校。サッカー推薦で入学してくる周囲の部員たちの実力はトップクラスで、自分がプロサッカー選手として活躍するのは厳しいという事を実感したそうです。サッカー選手の夢を断念した中村さんは、夢をジャーナリストに変更し、関西大学に進学してマスメディアについて学びます。大学在学中にアメリカのボストンへの留学も経験していずれは起業家になりたいという夢を思い描くようになります。
大学卒業後、悩んだ末に大手企業への入社を決意し、野村證券へ入社されます。中村さんが野村證券を選んだ理由は、「自分の夢に対して挑発的な反応をされたから」とのこと。ここで中村さんの負けず嫌いの性格が刺激され、野村證券への入社を決めたそうです。
入社後も持ち前の負けん気で圧倒的な営業成績を残し続け、自身が教育をした後輩に抜かれるまでその記録を保持し続けていたそう。プレイヤーとしてだけではなくマネージャーとしても手腕を発揮されていたんですね。

野村証券からお金のデザインへ

野村証券にて順風満帆なキャリアを築いていた中村さんでしたが、お金のデザイン創業者である谷家 衛氏と出会い、その考えに賛同。2016年4月に同社の営業部長として参画します。証券マンをしていた時とは違い、今後フィンテックが社会に浸透していくなかでのメインプレイヤーでいられることに大きな魅力を感じたといいます。
そして翌年2017年3月には代表取締役社長にスピード就任。今後も一般ユーザーに分かりやすいプロダクトを提供し続け、日本で長年美徳とされてきた「貯蓄」から「投資による資産形成」への変遷に挑戦し続けます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。プロサッカー選手を目指していたものの、自分と回りの能力の差を痛感して夢を断念していますが、現在は並みのプロサッカー以上の成功を収めているといっても過言ではありません。
ここと決めたときの行動力と自分の時間をどこに投資するかという意志決定能力はまさに証券マンの素質そのものといえるかもしれません。筆者の資産も一部投資に回してみようとおもいました…。

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