株式会社ビィ・フォアード 代表取締役 山川 博功を調べてみました!

世界一の企業といえば真っ先に人が思い浮かべるのはGoogleという人も多いのではないでしょうか。そのGoogleを驚かせた会社が日本にあります。それは、ITベンチャー企業でもなければ日本の大手企業でもありません。その企業の社長の著書『グーグルを驚愕させた日本人の知らないニッポンの企業』で非常に注目を集めた企業 株式会社ビィ・フォワード。この企業はアフリカをメインに日本の中古車・中古車部品をECによって流通させている企業です。そのオフィスは黒人に白人、日本以外のアジア系の人々が行きかう非常に多様性のあふれる場所になっているそうです。今回はそんなビィ・フォワードの代表である山川 博功社長の経歴について迫ろうと思います。

山川さんの経歴とは

山川さんは1971年鹿児島県に生まれ、4歳の時に福岡県へと引っ越します。お父様は百貨店にて外商を務める会社員で後に宝石商として独立されます。また、お母様は弟子を数名抱える美容室を経営し、現在も経営中だとか。
山川さんは小学4年生の時に剣道を始め、小中高ずっと剣道一筋で過ごされてきました。明治大学文学部入学後、バイトに明け暮れて月に50万円を超えるお金を稼ぐ事もあったそうです。その使い道は当時ご本人が熱中していたカーレースのために購入した車の維持費に大半が消えていたのだとか。その後、当たり前のように車にかかわる仕事がしたいため、日産グループの東京日産自動車販売という販社へ就職されます。就職しながらも、アルバイトのし過ぎでフランス語の単位を落としたため卒業できなかった大学に継続的に通いながら就業されていたそうですが、入社後すぐに当確を現して優秀新人営業賞を受賞。その後、金銭的な理由により転職を繰り返し、カーワイズに入社。三か月後にはトップセールスになります。その後、ワイズ山川を設立し、独立。車の買取業を営みますが、海外輸出をする車屋が高額で自社の車を買っていく事に気が付き、「これを自分たちがやったら儲かるのでは?」と考えて車の輸出ビジネスを始めます。中には詐欺にあったりしたそうですが、2004年3月に株式会社ビィ・フォワードを設立し、トレードカービューに解体車を掲載し始めるとアフリカを中心に取引が拡大し、現在では153の国と地域での取引を実現。年商は500憶円を超えるという日本最大の越境ECを構築されています。

まとめ

同社や山川さんの詳しい経歴は冒頭の著書にてご覧いただきたいのですが、山川さんについて特筆すべきは、詐欺にあっても自分の好きなもので生計を立てようとしたこと。好きな事で生きていくというのは人並み以上の努力と忍耐力が必要ですが、山川さんは苦しい時期を乗り越えて成功した経営者の一人といえるでしょう。

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