スター・マイカ株式会社代表取締役社長 水永政志さんについてまとめました

多くの不動産会社に激震が走り、倒産の憂き目を見たと言われているリーマンショック。実際にでなくても、間接的にその影響を受けた事のある方は多いのではないでしょうか。その中でほぼ無傷で済んだ企業はどこも株式上場を果たすなど相当な力をつけています。その中の1つに、スターマイカ株式会社があります。そして同社で代表取締役社長を務めるのが水永政志さん。今回は水永さんの経歴について調べてみました。

水永さんの経歴

水永さんは1964年生まれ、神奈川県のご出身です。父親は製鉄工場、母は看護師という家系に育った水永さん。幼くして広島県福山市に移住し、クラスメイトのほとんどの親が同じ工場で働くサラリーマンという面白い小学校で育ちます。これはおそらくですが、今広島県呉市から高炉撤退が決まっている新日鉄ではないかと思われます。同じような人たちが集まったことで、いじめなど子ども特有の行動がほとんどなかったのが印象的だったようです。
その後、東京大学に現役合格をした水永さんは、アルバイトで不動産屋家庭の娘の家庭教師を行います。不動産業を営んでいた生徒の父親はそこまで忙しいわけではなく、いつも家にいるため、飲みの誘いが多かったんだとか。これなら自分でもできそうだとこの時は思わず、プログラマーになることを望み、アルバイトを探します。東大生というだけでとある企業から採用され、給料も良ければ、自由に休んでもいい条件で就労をします。3か月で100万円という元気を得ながら、実はそれでも安い方だったという事実に驚いた水永さんは自ら会社を立ち上げ、大学生活を犠牲にしてでものめり込むことになります。結果的に就職のタイミングでその会社を売り、自らは三井物産に入社します。MBAを取得し、ボストンコンサルティングにて経営戦略コンサルを行い、その後ゴールドマン・サックスに転職。非常に輝かしい経歴を渡り歩きます。月収は数千万円にものぼり、順風満帆な人生を送っていたのですが、これからは不動産で投資を行う時代と感じ取り、会社を立ち上げます。
水永さんが立ち上げた会社は日本最初のREIT事業会社であり、すべてが完璧な準備だった中でITバブルが崩壊し、早々にして大赤字を背負う事態に追い込まれます。結局一度ゴールドマン・サックスに戻り、会社は売却します。それでも水永さんは起業して成功するという目標を諦めきれず、2度目の挑戦を行います。今度は失敗できないと研究に研究を重ね、赤字にならないための対策を立てた上でスターマイカ株式会社を立ち上げました。順調に成長していったスターマイカ株式会社。しかし、不運なことにリーマンショックが襲い掛かります。ただ、前回のITバブル崩壊の経験もあり、今回は会社を売却する事態に陥らずにすみました。堅実な経営を重ねた結果であり、決して勝負に出ないことを徹底した結果ともいえます。不動産会社としては少し珍しいかもしれませんね。

まとめ

水永さんはベンチャー向けの財務著書『ベンチャーファイナンス実践講義』という書籍を出版しています。これはゴールドマンでの経験や自身の起業経験をもとに書かれた書籍で、多くの方が手に取るべきものではないでしょうか。不動産業に新風をもたらしたスターマイカのビジネスモデルを模す会社も多い中で、今後の水永さんと同社の動向にも注目が集まります。

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