アイリスオーヤマ株式会社 大山健太郎会長についてまとめてみました
独自に生活用品や家電製品を開発し、安くて質の高いものを提供し続ける企業 アイリスオーヤマ株式会社。おそらく日本で社名を知らないビジネスパーソンはいないのではないでしょうか。今回はそのアイリスオーヤマを若くして引き継ぎ、大きく成長させたのが現代表取締役会長の大山健太郎さんです。
大山さんの経歴
大山さんは1945年7月3日生まれ大阪府藤井寺市の出身です。8人兄弟の長男として弟たちの面倒を見る機会が多かった大山さんですが、お父様は町工場を営んでおり、大山さんは大学への進学を考えます。ところが、そのお父様がガンになり、ご逝去されてしまいます。遺されたのは母親と自分を含めた8人兄弟。生計を立てるため、大山さんは19歳の若さで町工場を引き継ぎ、断続的に働き続けることで苦しいながらも生計を立てることができました。
とはいえ、現状は下請けばかりで、このままで終わるのではないかという不安に駆られた大山さん。自社製品を作りたいと考え、ライバルが少ない分野の製品開発に着手します。プラスチック製品を多く開発してたことで、プラスチックの強みを活かした製品を開発してそれを売り込むことにしました。それが見事に大成功し、順調な軌道に乗ったかのように見えましたが、オイルショックが大山さんを襲います。石油を原料とするものは軒並み売れたため、需要が拡大する一方、その需要に対応するべく供給を増やした結果、バランスを崩し、市場は大荒れします。景気が悪い時こそ赤字が出ないようにするという大山さんの考えがあったことで、傷は浅く済みましたが、積み上げたものが簡単になくなることの怖さを知ります。
その後様々な商品を開発する中、これまで大阪に本社を置いていたアイリスオーヤマを仙台に移すことにします。アイリスオーヤマを飛躍的に成功させたのは家電カテゴリでした。2012年、他の大手家電メーカーが軒並みリストラを行い、大手メーカーから優秀な技術者が大量に市場に放出されていました。この技術者たちを大量に確保したことで、質のいい商品をより安い値段で提供することに成功。ライバルには真似できないことを取り組み、結果を出したアイリスオーヤマ、大山さんの先見性と人財の重要性を忘れなかった同社は大きな発展を遂げます。
まとめ
大山さんの生い立ちはなかなか過酷な物であったという事がわかりました。8兄弟と母を養うため、19歳から工場で働くというのは昭和ならではの物であったかもしれません。最近の企業経営者はこう言ったどん底から這い上がるといった創業経緯を持った人は少ないため、非常に貴重な体験談だったのではないでしょうか。
この投稿へのトラックバック
トラックバックはありません。
- トラックバック URL
この投稿へのコメント