馬主の小紫芳夫のプロフィールとは?馬主としての成績とは?経営者としての顔も?徹底調査してみた!

日本は慢性的な不景気と言われ続ける一方で、企業経営者などは金融緩和政策の恩恵を受けており、局所的には好景気のような状態になっています。すると、お金が余るようになり、有効活用する目的で競馬などに投資を行い、馬主として活躍しようという人も出てくるものです。
長年馬主として活躍してきた小紫芳夫さんもその1人です。過去には重賞制覇を果たすなど、馬主としても一定の成績を残してきた小紫芳夫さん。本業での活躍も紹介しつつ、今回は馬主をメインにした小紫芳夫さんの活躍をピックアップします。
小紫芳夫のプロフィール

小紫芳夫さんは1928年生まれで、2010年に82歳でこの世を去っています。横浜倉庫の社長に就任すると、港湾業務などを中心に規模を拡大していき、横浜倉庫の業績を伸ばしていった小紫芳夫さん。
横浜倉庫社長として
横浜倉庫は明治時代から続く伝統的な会社であり、横浜の発展と共に存在してきました。横浜倉庫の歴史は当時の日本の貴重な輸出品目だった生糸の輸出を神奈川から行えるように倉庫を作ったことから始まっており、横浜を中心とする急速な発展と横浜倉庫の歴史はリンクします。
父親から会社を引き継いだ小紫芳夫さんは事業所の数などを増やし、輸送されてきた大豆を荷揚げし、工場で選別するといったことも可能です。世間には知られないなかなか地味な仕事ですが、日本の産業になくてはならない仕事と言えるでしょう。
小紫芳夫の馬主としての実績

小紫芳夫さんは馬主として実績がある方ですが、今までにどんな実績を残してきたのか、代表的な馬を3頭ピックアップしましたのでご紹介します。
スズパレード
スズパレードは1983年にデビューし、2戦目から3連勝を果たし、オープンクラスに昇級。しかし、共同通信杯ではシンボリルドルフのライバルとなったビゼンニシキに、皐月賞からダービーまではシンボリルドルフにそれぞれやられており、強敵相手に苦戦を強いられました。
それでも皐月賞やダービーでは4着と全く歯が立たなかったわけではないスズパレードはその後、重賞・ラジオたんぱ賞でついに重賞初制覇を果たします。福島競馬場との相性が抜群で、この年の秋も福島記念に勝利するなど重賞2勝をマーク。
スズパレードは脚部不安に悩まされ続けたものの、決して衰えることなく、むしろ休んで力をつけるタイプ。得意な中山を中心に勝ち星を重ね、長期休養も関係なく、1987年ついに宝塚記念で初G1を獲得。小紫芳夫さんにとってもこれが初のタイトル、栄冠となりました。総賞金は実に3億8000万円と馬主孝行な競走馬でした。
スズマッハ
スズマッハはスズパレードと同期の馬でスズマッハも2連勝でオープン特別に昇級します。スズパレードと比べると若干差がついており、期待度は低かったものの、日本ダービーでは21頭中20番人気ながら激走し、あわやシンボリルドルフに土をつけるところまでいき、結果は2着。
スズパレードは皐月賞とダービーで4着でしたが、スズマッハは菊花賞と有馬記念で4着。小紫芳夫さんにとって何とも惜しい1年であったことは間違いありません。その後長期休養に入り、休み明けの安田記念でいきなり好走し2着、その後エプソムカップで1着と存在感を発揮。
それ以降はなかなか結果を出せずに終わりますが、スズパレードとスズマッハの激走を知る人にとっては思い出に残っている1頭と言えるのではないでしょうか。
スズジュピター
スズジュピターは小紫芳夫さんの馬主人生の晩年に大活躍が期待された馬です。新潟で行われた新馬戦、オープン特別を連勝し、3戦目の重賞・東京スポーツ杯2歳ステークスでは中団からの競馬で鋭い末脚を披露し、2着に入ります。重賞で2着に入ったことで賞金を加算し、クラシック競走に確実に出られることになったスズジュピター。
この活躍を受け、4戦目のG1・朝日杯フューチュリティステークスでは1番人気に支持されました。久しぶりのG1タイトル獲得かと注目された中、ペースがやや速めに流れ、前の馬たちが止まるだろうと中団にいた騎手たちが虎視眈々と狙う中、逃げていた馬の脚色が最後まで衰えることなく、そのまま押し切ってしまう展開。
その中でもスズジュピターは懸命に追いかけましたが、5着がやっとでした。皐月賞出走を果たしたものの、その後ケガもあって1年以上の休養を余儀なくされ、2009年に復帰。2011年にはオープンクラスに復帰しましたが、既に小紫芳夫さんは天国へ。奥さんが馬主を引き継ぎ、その後2015年まで現役を続けることになります。
小紫芳夫の父も息子も馬主

小紫芳夫さんやその奥さんも馬主として所有しており、長らく冠名「スズ」が走っていました。実は小紫芳夫さんの父親も、そして小紫芳夫さんの息子も馬主として馬を走らせています。
小紫芳夫の父・鈴江繁一
小紫芳夫さんの父である鈴江繁一さんは明治時代に鈴江組を立ち上げ、横浜倉庫などで取締役など要職を務めた人物です。小紫芳夫さんは鈴江繁一さんの三男で、当時後継ぎがいなかった鈴江繁一さんの奥さんの実家に養子として継がせたために小紫姓を名乗ることになります。
そんな鈴江繁一さんの代表馬はスズホープ。ダービーでは4着と奇しくも息子である小紫芳夫さんと同じ結果を残しており、菊花賞も4着と結果が似る形に。ちなみにスズホープには2代目もおり、2代目スズホープは小紫芳夫さんが所有。クラシックには絡みませんでしたが、重賞・関屋記念を勝利するなど、父の所有馬に負けない結果を残しました。
小紫芳夫の息子・小紫嘉之
小紫芳夫さんの息子であり、現在横浜倉庫の社長を務める小紫嘉之さんは2011年から馬主として所有馬を出し始めます。冠名「スズノ」を使っていますが、父親と比べると比較的規模が小さく、結果もまだまだ出ていない状況。
しかし、2022年に入り、シンガリ人気のスズノヤマトが勝利してからは年間でもっと勝ち星を稼ぎ、馬主としてようやく成功し始めます。父と息子が受け継いできたスズホープという名前をどこで投入するのかにも注目です。
父と子で日本馬主協会連合会の会長に

小紫芳夫さんは1993年から2001年にかけて日本馬主協会連合会の会長を務めており、歴代の会長の中でもトップクラスに在任歴が長い会長でした。しかし、父である鈴江繁一さんもまた日本馬主協会連合会の会長として1961年に就任しており、父と子が会長職についたことになります。
息子は東京馬主協会の役員
そんな中、息子である小紫嘉之さんは東京馬主協会の理事を務めています。名だたる馬主がいる中で小紫嘉之さんは理事として働いており、今後会長などの職に就く可能性もあります。そのためにはしっかりとした結果を出したいところです。
まとめ

小紫芳夫さんは馬主としても活躍しており、父親である鈴江繁一さんを超えたといっても過言ではありません。その一方で息子である小紫嘉之さんは現状だとまた「オヤジの背中」がまだ見えない状況であり、今後次第といったところでしょうか。
小紫嘉之さんに託されたのは父も祖父も達成したことがないクラシック制覇。その夢は父や祖父の時代よりもさらに難しくなってしまい、個人馬主で結果を出すにはかなり時間はかかるでしょうが、その悲願を果たした時にどのような未来が待っているのか、とても注目すべきところでしょう。
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