元アナウンサーの井垣利英が株式会社シェリロゼを設立するまで

株式会社シェリロゼは内面・外面の両方を磨くことができる自分磨きスクールです。新人社員やビジネスマナーのオーダーメイド研修などもしています。また「しぐさのマナーとコツ」や「女磨きの心得」などの著書も出しており、12万部を突破しています。井垣利英さんが株式会社シェリロゼを設立したきっかけは何だったのでしょうか。

井垣利英はどんな方?

井垣利英さんの父親は名古屋で塾を経営していて、「自分も将来は経営者になりたい」と思っていました。中学と高校は内部進学でお嬢様校と言われる学校に進学しましたが、そのまま大学も敷かれたレールの上を行くのが嫌だったそうです。そこで井垣利英さんはアナウンサーになることを決意し、東京の大学への受験を父親に話すと反対されました。ただ熱心な説得をし続けた結果、条件付きで父親の了承を得ることができ中央大学に進学します。井垣利英さんの中では東京の大学はお洒落な街並みの中にあると思い込んでいたため、中央大学に進学したときはそのギャップに驚いたそうです。そして、大学1年生の時からアナウンサーの学校にも通い始めたのですが、見えてくるのは自分に足りないものばかりでした。アナウンサーの人はみんな立ち振る舞いも綺麗なので、見た目も綺麗にしなければいけないと考え有料のレッスンを受けました。さらには自分が身に付ける色によって人の印象は大きく変わると分かった井垣利英さんは、カラーコーディネートまで学んだそうです。最終的にはモデルやカラーコーディネーターになるわけではないのに、お金がたくさんかかることを疑問に思いました。そこでトータルで綺麗になれるスクールがあればいいのにと思ったことが将来的に株式会社シェリロゼに繋がっていきます。

井垣利英が株式会社シェリロゼを設立するまで

井垣利英さんは大学卒業後、日本テレビの番組のリポーターとして働き始めます。しかし井垣利英さんが思っていたのとは違い、人から嫌われるようにインタビューもしなければいけないことに悩んでしまいます。そんな時に父親が倒れてしまい、名古屋に一旦戻り家業を手伝うことになりました。ただ専門分野外で戦力外だった井垣利英さんは、再度上京しイベントプロデュースの会社に就職します。井垣利英さんがずっと思い続けていた立ち振る舞いやメイク、自分に合ったカラーなど一気に学べる学校があれば良いと会社に提案したのです。全く井垣利英さんの案を受け入れてくれず、自分で会社を立ち上げることを決心しました。

株式会社シェリロゼの今後のビジョン

井垣利英さんは株式会社シェリロゼを「教育産業のジャニーズ事務所」にしたいと考えています。ジャニーズのように誰にも真似ができない常に新しいことを提案し、成長し続けていく会社を目指したいそうです。

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