中学で起業を志し、東証一部上場企業を設立した経営者 株式会社オプトホールディングス代表の鉢嶺 登さんについて調べました!

導入

皆さんの中学生時代の目標は何でしたか?覚えていらっしゃるかたもそうでない方もいるでしょう。それではその目標をかなえられた人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。非常に少ないと思います。今回は中学時代の志を叶えて東証一部上場企業を設立された鉢嶺 登さんについてまとめてみようと思います。

鉢嶺さんの経歴

鉢嶺さんは1967年に千葉県で生まれました。1991年に早稲田大学の商学部をご卒業され、不動産ディベロッパーの森ビル株式会社へ入社されます。入社時点で3年で辞めると決めて入社されたそうです。ちょうどバブルがはじける直前に入社されており、一生続くのではという好景気もバブルがはじけたと同時に崩壊。上場企業が倒産し、大企業がリストラを決断するという事態に陥りました。
鉢嶺さんの企業への想いはさらに強くなります。
鉢嶺さんは当初の予定通り、入社して3年後に退職。会社を立ち上げられます。FAXやテレマーケティングなどを行う会社 有限会社デカレッグスを設立し、翌年には現在の社名である株式会社オプトに社名を変更します。
そして2000年にはインターネット広告代理事業に進出し、3年後にはヤフージャパンからベストパートナー認定を受けます。翌年、2004年にジャスダックに上場。それから10年後に東証一部へ上場を果たします。

鉢嶺さんの人生観

鉢嶺さんが中学時代に起業を意識したきっかけは戦国武将についての関心から。戦国武将について知るうちに「やるからには自分の足跡を残したい」という想いを強めます。また、社会人2年目の時にエジプトに旅行した際、とあるきっかけから自分たちがイノベーションを起こして新たな取り組みをしていくことで、子孫の代が反映することも学びます。
また、鉢嶺さんは若いうちは目標を低く設定して妥協する事をするなといいます。人生が大きく方向性づけられる分かれ道に、妥協して安定志向な道を選ぶのは自分の可能性をつぶしてしまう事だと主張されています。人によって考えの相違はあると思いますが、これは是非とも覚えておきたい言葉です。

まとめ

鉢嶺さんは中学時代の目標を実現された数少ない人なのではないでしょうか。それを可能にしたのも鉢嶺さんが安定志向の道を選ばなかったからだといえるでしょう。自分を限界まで追い込むというやり方は、今では揶揄される事もありますが、高い目標の設定のためにはレバレッジをとることも大切です。鉢嶺さんの人生は、その事を私たちに教えてくださっているように思えてなりません。

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